やりたいことをやる。
一見ご最もな意見に見える。
でも実際はそんなに簡単な事ではない。
やりたいことなんて本当は無数にある。
独りよがりのやりたいことなんて、なんの意味もない。
やたいことをやれってアドバイスは残酷。
ほとんど人は何がやりたいか分かっていないし、
これって決めかねている。
しかも「好きだからやりたい」とかその程度の気持ちでやるのはあまりにも安直。
その程度の気持ちで続くなんてありえない。
死ぬほど好きじゃないとそいういう選択方法はお勧めしない。
「死ぬほど好き」というのは、めちゃくちゃ好きというレベルでは無く、それがないと死んでしまうというレベルのことを指す。
やりたいことがもうあるなら、それをやればいいし、
ないならとにかく今自分が貢献できることを社会の役に立たせればいい。
そんな中でもやりたいことを見つけたいというのなら、
それを外に求めてはいけない。その答えは自分の中にある。
でも、自分探しの旅に出てはいけない。
何か社会との接点を持てる仕事をしながらその中で自分を見つめ直すことが大事。
自分というフィルターを通す作業をすることで、自分が何者なのか理解してくるということ。
その作業をしてなにを感じたか、なにを思うか、そこからなにを学んだか、そのフィルターを通す作業が大事。
それはどんな仕事、行動からも得られる。
フィードバックをしっかりして、そこから自分を把握していくということ。
自分探しなんてしても何も見つからないし、自分単体では何も分からない。
「人」の「間」と書いて「人間」と書く。
人と人の間に自分が存在するということ。人と人の関わりの中にしか自分は存在しないということ。
だから自分の中だけで自分探しをしても何も得るものなんてない。
そこは気をつけないといけない。青い鳥を探し続ける輩はなかなか戻ってこないことがままある。
やりたことがあってもなくても人生はどっちでもいいと思う。
別にやりたことが無くてもいいし、夢なんてなくてもいい。
そんなの元々自由なんよ。
なんか「やりたいことを見つけろ」とか「夢」を持てとか、それを持っていることが当然みたいな風潮には気持ち悪さを感じる。
そんなもんはあっても無くてもどっちでもいい。
ただ、あった方がちょっと人生楽しいかなっていうレベルの話。
では、つらつら終了!
ほなまた。