まいど、杉浦(@takasugiura)です。
最近、お金について考える機会が色々とあったので、
備忘録も兼ねて自分の中のお金について思うことをまとめておきたいと思います。
お金はエネルギーそのもの
お金はエネルギーそのもの。
現在のお金でなんでも買える世界においてはなんでも出来る最強のツール、それがお金です。
感謝の対価であったり、労働の対価に支払われるお金。
そこには単なるお金という概念以上の人の想いであったり、自分の魂を削って稼いだものであったり、人の情念みたいなものが入り込んでいます。
そんなエネルギーの塊であるお金は適度に流してあげないと貯めてばかりでは何の役にも立たないし、それによって自身が狂い始めるように感じてます。
川を堰き止めて水を貯めても定期的に放流しないと決壊します。
地震、噴火も歪み、エネルギーが蓄積し過ぎると大災害となります。
お金も同じで、どこかで定期的に使わないとどこかで歪んでくるんじゃないかと。
身の回りを見ても、お金にまつわるトラブルに巻き込まれやすいように思います。
趣味が貯金とか通帳記入とは言っている人は気をつけた方がいいかもw
お金はバーチャルな道具
酒とパンを交換するときも物々交換時代なら、パン3個で酒1Lで交換とかしてた訳です。
でも、その酒屋が別にパン欲しくないし的なことになったら、パンしか持っていない人は酒を飲めません。
そこで登場したのがお金という概念です。
お金ってそもそも、物々交換をしていた時代からモノだけで等価交換するのは手間だから、一定の価値を担保したチケットみたいなものを交換して価値交換しましょう、として取り決めることで生まれたもの。
そしてそのお金は昔は金を担保にした金本位制の元、利用されていました。
お金は金と交換できたんですね。それによってお金の価値を担保していたということです。
ただ、この方式だと金の量=お金の量となるので、勝手が悪いということで、その制度は廃止されました。
そこからです、貨幣の暴走が始まったのは。
元々価値交換のために使われていた貨幣が金の呪縛から解き放たれ、金融市場にバーチャルな貨幣が溢れてきました。
最近では増えすぎて行き場のないお金が投機的な取引で運用され、物価、為替の乱高下を引き起こしてます。
元々はモノを交換するための道具として画期的な発明品であったお金。
本来の価値はモノにあるはずなのに、いつの間にかそれが逆転してお金そのものに価値があると思い込まれるようになっている昨今。
世間の人は「拝金主義」を批判しがちですが、お金そのものに価値があると思っていること自体すでに、「拝金主義」ですからねw
昔は村の中心は神社、寺でした。
でも、今や街の中心には銀行が立ち並びます。
神道、仏教から、お金教に移行してきたということの表れなのかなと思っています。
お金は価値交換の一種
価値交換には実は色々な種類があります。
旧式の物々交換もあるし、一方的に贈り物をするギフト経済的なものもあります。
おにぎりを作って誰かにあげるのも、価値交換ですし、困っている人を助けるのも価値交換。
お金を利用して行っている価値交換は色々な価値交換の中の一種でしかないんです。
お金はいろんなものに交換可能ですが、それが全て、全部ではないということがポイントです。
お金という価値交換だけに執着してしまうと、結果的にそれが無いと不安になってしまい依存してしまうようになるからです。
お金と商売の不道徳性
「嘘を言ってはいけないが、本当のことを言う必要はない。」
営業の世界ではよく言われることです。
でもこれってどうなんだろうか?って思う訳です。
したたかさ、とでも言うんでしょうか。
ここが商売の不道徳性に繋がってきているんじゃないかと。
すべての情報をさらけ出して、それでも良いと思っている人と関わればいいんじゃないか。
そこに嘘は混じってはいけないと思うんです。
それは絶対に気づかれるし、次はない。
自信120%くらいで提供しないと。
嘘のない商売、ビジネスを追求する姿勢が大事かと。
キレイごとだけじゃ商売は成り立たないんだよ、と言われるかもしれません。
でも、このネット時代ならキレイごとだけでも成り立つと思うんです。
ニッチなビジネスであってもネットを通じて知り合うことが出来る、物理的な壁が徐々に減ってきている。
そんないい時代に生きているということです。
売れさえすればいい、というカン違い、思い込みからそろそろ脱出する時だと思うんです。
商売がうまい人間というのはある意味で嘘とホントの間をうまく使い分ける人間のことなんじゃないか。
買わせる技術とか色々あるが、なんだかしっくり来ないし。
稼ぐのもいいけど稼がずに豊かに生きられる道もある
今の時代に生きてる僕たちはもはやお金なしには生きていけません。
どんなに自給自足の率を上げたとしても税金、通信費、作れないものは買わないといけません。当たり前ですが。
自給的な暮らしを実践する場も買うか借りないといけません。
現社会と繋がり続けるためには貨幣は必要不可欠です。
でもいま、大量生産、大量消費社会の恩恵によって、暮らしに必要なもののコストは驚くほど低くなってきています。
ディスカウントストア、ファストファッションのお陰で安価で良質な衣食は得られます。
電気、ガス、水道等のインフラも超低価格でエネルギーを得ることができています。(いつまでも続く訳ではないですが…。)
あとは住を地方のローコストなとこに住めば、ライフコストなんて月に数万円で事足ります。
本当に暮らしに必要なものを見極めて、「足るを知る」のスタンスで暮らしていくのがこれからのスタンダードなのかなと思っています。
月に数万円で暮らせるなら、労働も最小限で済みます。
週に40時間働いて、休みが2日しかないとかいう奴隷の様な暮らしから離脱することが出来ます。
老後の為に貯金とか、定年退職したらやりたいことやるとか、考えない方が良いです。
年をとったら体も劣化しているし、エネルギーも低下していきます。
そんな体で何か新しいことやったり、旅行に行きまくる、なんて出来ないしできたとしてもシンドいですよね。
だったら、体が元気なうちにやりたいことをやるべきです。
あなたに明日があるなんて誰も保証してくれないんですから。
あるかないか分からない未来の為に生きるより、今この瞬間を生きた方がよっぽど有意義です。
将来の為に今を犠牲にする生き方はそろそろ終わりにしましょうw
労働が最小限になったら自由な時間も増えてきます。
その空いた時間で農的な暮らしの実践であったり、やりたいことをやるんです。
その方が間違いなく生活としては豊かだと僕は思ってます。
さいごに
お金は現社会と繋がるためには大事だけど、それが全部じゃないってこと。
あくまで色々な価値交換の一部でしかないんです。
僕たちの暮らしも同じで、お金が全部なんじゃなくて一部だということです。
お金に依存して暮らしていると、どんなに稼いでも目に見えない不安がつきまといます。
それはお金がバーチャルなものだと心のどっかで認識しているからじゃないでしょうか。
もういいんじゃないですか、お金に依存するのは。
そろそろ次のステージにいきましょう。
経済の語源は「経世済民」。
世を経し、民を済う。
世の中を良くして、人民を救うということです。
経済というのは単なる株価、為替とかの数値、指標のことではありません。
人の為に役に立つこと、それが経済の基本。
人の為にオニギリを作って渡すことは経済なんですよね。
ほなまた。