Bライフとて稼がなければならない現実

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Bライフとて暮らしにはお金が掛かる。

そう、僕たちは資本主義経済の中で暮らしてる訳で。
この現システムは執拗に追いかけてくる。完全な出口はなかなか見えない。

そもそも国の仕組み自体が貨幣経済をベースにしている。
そこから抜け出すことは出来ないよね。

といっても貨幣での収入が一定金額以下(非課税)ならほとんど0円ライフも不可能ではない。
でもゼロにはならない。

ホームがレスの方々ですら日々資源等を回収して日銭を稼いでいる。
中にはレアメタルを回収して月に数十万稼いでホテルライフを送っている人もいるらしい。
確かこの本に。

どうしてもある程度の稼ぎは必要ということ。

だから、辺にそこから離脱ばかりを考えるんではなくて、現システムとうまく付き合っていく方向性で思考するほうが、健康的であり現実的。

じゃあ、どうやってうまく付き合っていくか。

Bライフ+ナリワイ

理想的には暮らしのコストを最小化すると共に、自力で稼ぐチカラが必要になってくるんだと思う。

雇われるのでは無くて、自分のチカラでナリワイを形作る。

ライフコストを下げるのは比較的簡単だが、ナリワイをカタチにするのは結構ハードルが高い。

節約するのは簡単だが、給与を上げるのはそう簡単ではないのと似ている。
節約は自分個人で完結するが、「稼ぎ」は自分以外が関係するからだと思う。

稼ぐこと」=「売ること」=「価値提供

自分が生み出した「価値」を他者に提供することで「対価」が得られる。
それが「稼ぐ」ということ。

個人的にはソロー師匠が言う
かごの作り方を研究する代わりに、かごを売らなくても生活できる方法を考える。
がベース思考だが、そうも言ってられない。

「やりたいこと」ベースでナリワイをするのもいいが、結果が出るのが早いのは「やれること」ベース探すこと。

自分のやれること」と「誰かが必要としていること」の接点が仕事になるんじゃないかと。
独りよがりでも駄目だし、人のためだけに消耗するのも違う。
その距離感というか、バランスを取るのがうまくやる秘訣なんかな。

「あなたが得意なことは何ですか?」
「あたなが過去に誰かにお願いされたことは何ですか?」
その辺から見つけていくのが王道。

たかが仕事

別に、適当にやれということではない。

みんな仕事というものを深く考えすぎている。
まぁ貨幣経済だから、金の切れ目が生命の切れ目という思考回路でいけば分からなくもない。

でも、ここまで人生の中で仕事が多くのウエイトを占めているのは日本だけなのではないかと。

留学していたオーストラリアとか、ヨーロッパでは仕事より日々の生活、家族、仲間との時間が大切というのが基本というか当たり前だった。

初めは戸惑ったが、よくよく考えたらそれは至極当然のこと。日々の暮らし、家族が日々の「生きる」の基礎となるからだ。

仕事は2の次。

日本でも地方にいけばまた違う。
そこは貨幣経済以上に、ムラ社会システム、農産物等の贈与経済が大きなウエイトを占めてる。

だから残業とかしないし、会社にも依存しない。
ムラ社会のセーフティネットがあるから。

そう考えると都市部の消費主体の暮らしとはなんと脆弱なんだろうか。
災害があれば、食べるものが無くなり、電気が止まれば家にも帰れず、仕事が無くなれば、住む場所も無くなる。誰も助けてくれない。生存権を主張しても国は暖かく迎え入れてはくれない。

さいごに

稼ぐこと=仕事」はこの現代を生きるのに必要なこと。

だからといってそれが全てではないし、依存することもない。

自給的な暮らしをベースにして、「ナリワイ」で貨幣経済と折り合いを付ける。

そんな生き方が最高やと思っている。

先のないラットレースからなる早で降りること。
そこから始めよう。

ほなまた。

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